近現代

モンロー主義

別名: モンロー・ドクトリン

関連国・地域: US

1823年12月2日、アメリカ大統領ジェームズ・モンローが連邦議会に送った年次教書のなかで示した外交上の原則。起草には国務長官ジョン・クインシー・アダムズが主導的な役割を果たした。内容は、南北アメリカ大陸をヨーロッパ列強による新たな植民地化の対象とはみなさないこと、ヨーロッパの政治体制をアメリカ大陸へ及ぼそうとする干渉を合衆国への非友好的行為とみなすこと、そのかわり合衆国はヨーロッパ内部の紛争や既存の植民地には関与しないこと、の三点に要約される。背景には、ラテンアメリカ諸国の相次ぐ独立に対して神聖同盟の干渉が懸念されたこと、太平洋岸で南下するロシアとの領土問題があった。当時の合衆国にこれを軍事的に裏づける力はなく、実際に列強の干渉を抑えていたのはラテンアメリカ市場を求めるイギリスの海軍力だったため、宣言は直ちに大きな効果を持ったわけではない。「モンロー・ドクトリン」という呼称が定着するのは1840年代以降で、1845年にポーク大統領がテキサス併合やオレゴン問題に関連して援用し、領土拡張を正当化する論拠としても用いられるようになった。1895年のベネズエラ国境紛争ではオルニー国務長官がこれを拡大解釈して西半球における合衆国の優越を主張し、1904年にはセオドア・ローズヴェルトがいわゆる「ローズヴェルトの系論」を唱え、政情不安な近隣国に対して合衆国が「国際警察力」を行使すると宣言して、カリブ海・中米への軍事介入の根拠とした。1930年代のフランクリン・ローズヴェルト政権は善隣外交を掲げて介入政策を修正し、第二次世界大戦後は米州機構(OAS)など多国間の枠組みに置き換えられていったが、1962年のキューバ危機の際にも援用が語られた。2013年、ケリー国務長官はOASでの演説で「モンロー・ドクトリンの時代は終わった」と述べている。

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