中世
荘園制
別名: 荘園
関連国・地域: JP
日本の古代から中世にかけて存在した私的な土地支配の体系。8世紀、墾田永年私財法(743年)によって開墾地の私有が認められると、貴族や大寺社が周辺の農民を動員して大規模な開墾を行い、初期荘園(自墾地系荘園)が各地に生まれた。10世紀以降、律令制的な土地・人民支配がゆるむと、開発領主となった有力者が中央の権門(摂関家・院・大寺社)に土地を寄進し、みずからは現地の管理者(荘官・下司)となって権益を確保する寄進地系荘園が広がった。こうして一つの土地の上に、本家・領家・荘官・作人といった重層的な得分権(職=しき)が積み重なる構造が成立した。荘園は租税を免除される不輸、国司の使者の立ち入りを拒む不入の特権を得て公権力から自立していったが、朝廷はこれを抑えようとして荘園整理令を繰り返し発し、とくに後三条天皇による1069年の延久の荘園整理令では記録荘園券契所を設けて証拠文書の審査が行われた。院政期には権門への寄進がさらに進み、全国の土地は荘園と国衙領(公領)が並び立つ荘園公領制として編成された。1185年に源頼朝が守護・地頭の設置を認められると、地頭が年貢の徴収と現地支配に食い込み、荘園領主との間で地頭請や下地中分といった取り決めが結ばれるようになる。南北朝の動乱を経て守護が半済などを通じて荘園の年貢を掌握し、戦国期には現地の武士による支配が実態となって荘園領主の権益は失われた。豊臣秀吉の太閤検地によって一つの土地に一人の耕作者を定める一地一作人の原則が打ち出され、重層的な職の体系は最終的に解体した。