イベント 13件 / 場所 22件 / 人物 3名 / 用語 3件 を収録
1206年、テムジンはモンゴルの諸部族を統一して「チンギス・ハン(偉大なる支配者)」の称号を受け、モンゴル帝国を建国した。チンギス・ハンは騎馬軍団の機動力・戦術的柔軟性・情報収集能力を活かして中央アジ…
オスマン帝国のメフメト2世が1,000年続いたビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略。この出来事は中世の終わりを告げる象徴とされ、多くのギリシャ人学者が西欧に逃れたことがイタリア・ルネサンスを…
スレイマン1世(西洋では「大帝」、イスラム世界では「カーヌーニー=立法者」と呼ばれる)の在位中、オスマン帝国は最盛期を迎えた。1529年の第一次ウィーン包囲でヨーロッパ中心部に迫り、北アフリカ・中東・…
オスマン帝国がウィーン包囲に失敗し、以後「ヨーロッパの病人」と呼ばれる長期衰退期に入った。ポーランド王ヤン3世ソビエスキーらの連合軍に撃退され、1699年のカルロヴィッツ条約でハンガリーをオーストリア…
オスマン帝国はヨーロッパ列強の圧力と内部の衰退に対応するため、1839年のギュルハーネ勅令から始まる「タンジマート(再編・改革)」と呼ばれる近代化改革を断行した。臣民の平等・財産権保護・近代的法律・西…
ヨーロッパで近代思想を学んだ「統一と進歩委員会(青年トルコ人)」が1908年に革命を起こし、スルタン・アブデュルハミト2世に停止されていた憲法の復活を強制した。1909年には皇帝を廃位し、事実上の軍事…
オスマン帝国はドイツ側(同盟国側)で第一次世界大戦に参戦した。ガリポリの戦い(ダーダネルス作戦)でイギリス・オーストラリア・ニュージーランド連合軍の上陸を阻止したが、アラビア半島・メソポタミア・パレス…
第一次世界大戦中の1915年から、オスマン帝国政府は東アナトリアのアルメニア人を組織的に追放・虐殺した。死者は50万~150万人以上と推定され、アルメニア・多くの国はこれをジェノサイドと認定している。…
第一次世界大戦の敗戦国として解体の危機に立たされたオスマン帝国から、ムスタファ・ケマル(アタテュルク)が独立戦争を戦い抜き近代国家トルコ共和国を建設。政教分離・文字改革(アラビア文字からラテン文字へ)…