中世

トゥール・ポワティエ間の戦い

🇫🇷フランス

732年10月、イベリア半島を支配していたウマイヤ朝のアンダルス総督アブド・アッラフマーン・アルガーフィキーが率いる軍が、ピレネーを越えてガリア南西部からロワール川方面へ進出し、トゥールとポワティエの間でフランク王国の宮宰カール・マルテルの軍と会戦した。アラビア語の史料では「殉教者の道の戦い」の名で伝えられる。密集した歩兵を主力とするフランク軍が騎兵中心のウマイヤ軍の攻撃を受け止め、アブド・アッラフマーンが戦死したためウマイヤ軍は南へ退いた。その後もウマイヤ勢力はナルボンヌなど南フランスの拠点を保持し、この地域をめぐる攻防は8世紀半ばまで続いたが、フランク王国の優位は次第に固まっていった。勝利によって権威を高めたカール・マルテルは王国内での実権を確立し、その子ピピン3世によるカロリング朝の成立へとつながった。近代のヨーロッパ史学ではこの戦いをイスラム勢力の北進を阻んだ決定的な転機とみなす見方が広まったが、近年の研究では、この遠征が領域の占領よりも略奪を主目的とする規模のものだった可能性も指摘され、その歴史的意義の評価は分かれている。

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