中世

ウマイヤ朝によるシンド征服

🇵🇰パキスタン

ウマイヤ朝のイラク総督ハッジャージュ・ブン・ユースフの命を受けた若い将軍ムハンマド・ブン・カーシムが、711年から713年にかけてインダス川下流域のシンド地方に遠征した。遠征は、この地域を拠点とする海賊がアラブ船を襲った事件への報復を名目に始まったとされる。軍は海港都市デーバルを攻略した後にインダス川を遡り、712年にはラージャ・ダーヒルの軍を破って王都アロールを占領し、翌713年には上流のムルターンにまで達した。征服後のシンドとムルターンはカリフ国の東端の州として組み込まれ、在地のヒンドゥー教徒や仏教徒は「啓典の民」に準じた庇護民(ジンミー)としてジズヤの納付と引き換えに信仰の継続を認められたと伝えられる。ムハンマド・ブン・カーシム自身はカリフの交代に伴って715年頃に召還され、間もなく没した。この遠征はイスラーム勢力によるインド亜大陸への最初の本格的な進出であり、後のガズナ朝やデリー・スルターン朝による北インド進出に先立つ出来事として位置づけられる。ただし当時のイスラーム支配は下インダス流域に限られ、亜大陸内部への広がりは長く限定的だった。

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