中世
マグナ・カルタ(大憲章)(まぐなかるた)
別名: マグナカルタ・マグナ・カルタ・大憲章・Magna Carta
関連国・地域: GB
1215年6月15日、イングランド王ジョンがテムズ川沿いのラニーミードで反乱諸侯(バロン)の要求を受け入れ、大印璽を押して承認したラテン語の文書。全63か条からなる。フランスにおける大陸領の喪失と、たび重なる軍事費の徴収に対する諸侯の不満が背景にあり、教会の自由、慣習に反する封建的負担の禁止、ロンドンなど都市の特権の確認などが定められた。なかでも第39条は、自由人は同輩による合法的な裁判または国法によらなければ逮捕・監禁・財産の剥奪・追放をされないと規定している。ただし当時「自由人」に数えられたのは住民の一部であり、内容の中心は封建貴族の既得権の確認にあった。ジョン王の要請を受けた教皇インノケンティウス3世は同年のうちにこれを無効と宣言し、第一次バロン戦争が起きたが、ジョンの死後の1216年・1217年・1225年に改訂版が繰り返し発布され、1297年にはエドワード1世のもとで法令として確認された。17世紀にエドワード・クック(コーク)らが国王大権を制限する根拠として援用したことから、「国王も法の下にある」という法の支配の象徴とみなされるようになり、権利請願や権利章典など後の立憲主義の展開に影響を与えた。1215年当時の写しは4部が現存し、うち2部を大英図書館が、残る2部をリンカン大聖堂とソールズベリ大聖堂が所蔵している。