中世
摂関政治
別名: 摂政・関白政治・藤原氏の政治
関連国・地域: JP
平安時代中期(9〜11世紀)に藤原氏が天皇の外戚となり、幼少の天皇には「摂政」、成人後は「関白」として実権を握った政治形態。藤原道長が四人の娘を天皇・皇太子の后にして「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ1019年頃が最盛期。しかし後三条天皇が外戚を持たない天皇として即位し藤原氏の権力を抑制、その子白河天皇が院政を始めたことで摂関政治は実質的に終焉した。摂政は清和天皇が幼くして即位した際に外祖父の藤原良房が事実上その役割を担ったのが始まり(正式な任命は866年)で、関白は884年に藤原基経が光孝天皇から政務を任されたことに始まるとされる。摂関家の経済的な基盤は各地から寄進された荘園で、道長の子・頼通は宇治に平等院鳳凰堂を建立した。