イベント 13件 / 場所 3件 / 人物 1名 を収録
現在のバングラデシュ一帯はガンガーリダイと呼ばれ、アレクサンドロス東征時にも強大な軍事国家として記録された。紀元前4世紀末からマウリヤ朝の版図に組み込まれ、アショーカ王期には仏教が普及し、港町タムラリ…
戦乱の続くベンガル諸侯が協議のうえゴーパーラを王に選び、仏教を篤く保護したパーラ朝が成立した。ヴィクラマシーラ・ソーマプラなど大僧院が栄え、チベットや東南アジアにも密教が伝播。北インド屈指の強国として…
ゴール朝の武将ムハンマド・バフティヤール・ハルジーが少数の騎兵でラクシュマナ・セーナ王の都ナディヤを急襲し、ベンガルをイスラーム政権下に組み込んだ。以後デリー・スルターン朝の州からベンガル・スルターン…
アクバル帝のムガル軍がベンガル・スルターン朝のダウード・ハーン・カッラーニーを破り、豊かなベンガルを直接統治下に置いた。以後ダッカがベンガル州の中心となり、モスリン織をはじめとする産業で「ムガル帝国の…
ベンガル太守シラージュ・ウッダウラの軍を英東インド会社のロバート・クライブが少数で破り、会社によるベンガル実質支配の端緒となった。1765年にはディーワーニー(徴税権)を獲得し、イギリスのインド植民地…
東インド会社の過酷な徴税と天候不順が重なり、ベンガル地方で推計1000万人、人口の3分の1が死亡したとされる大飢饉が発生した。会社統治の残忍さが英本国でも問題視され、1773年の規制法によるインド統治…
イギリス領インドの分離独立に伴いベンガル東部がパキスタンの飛び地「東パキスタン」となった。西パキスタンと1000マイル離れ、宗教以外に共通点の少ない体制は当初から不安定で、後の独立戦争の構造的原因とな…
1947年の印パ分離独立後、パキスタン中央政府が西パキスタンで主に使われるウルドゥー語のみを国語とする方針を打ち出したことに対し、人口の過半を占める東パキスタン(現バングラデシュ)のベンガル語話者が強…
3月26日、ムジブル・ラフマーンが独立を宣言。パキスタン軍の弾圧「サーチライト作戦」で大量虐殺が起き、1000万人規模の難民がインドへ流出した。12月にインド軍介入で戦争は終結し、バングラデシュ人民共…
経済学者ムハンマド・ユヌスが無担保小額融資の仕組みを事業化し、農村女性の起業支援を主眼とするグラミン銀行が正式設立された。世界の貧困削減モデルとして広く模倣され、ユヌスと同行は2006年ノーベル平和賞…
ダッカ近郊の8階建て縫製工場ビル「ラナ・プラザ」が崩落し、1,134人が死亡。世界のファストファッション供給網の末端で起きた惨事として、労働者の安全基準と先進国ブランドの責任を問うグローバルな議論を巻…