中世
ミハイ勇敢公による三公国の統合
🇷🇴ルーマニア
ワラキア公ミハイ勇敢公(ミハイ2世)が1600年、ワラキア・トランシルヴァニア・モルダヴィアの三つの公国を一時的に自らの支配下に置いた。ミハイは1593年にオスマン帝国の承認を得てワラキア公となったが、翌1594年に反オスマンの「神聖同盟」に加わって挙兵し、ドナウ川流域でオスマン軍と戦った。1599年にトランシルヴァニアへ進軍してシェリムベールの戦いに勝ち、翌1600年春にはモルダヴィアも制圧して、三公国の君主を名乗った。しかしトランシルヴァニアの貴族層やハプスブルク家、ポーランドとの対立から支配は数か月で崩れ、ミハイは1601年8月にトランシルヴァニアで殺害された。この統合は短命で近代的な国民国家を目指したものではなかったが、19世紀のルーマニア民族運動のなかで統一の先例として重んじられ、ミハイは国民的英雄と位置づけられるようになった。