フアン・ペロン(ふあんぺろん)
別名: フアン・ドミンゴ・ペロン・ペロン・Juan Domingo Perón・Juan Perón
アルゼンチンの軍人・政治家で、同国の大統領を三度務めた(在任1946〜1955年、1973〜1974年)。1895年10月8日、ブエノスアイレス州ロボスに生まれ、陸軍士官学校を経て職業軍人となった。1939年から1941年にかけてイタリアなどヨーロッパに駐在武官として滞在し、帰国後の1943年に青年将校の集団が起こした軍事クーデターに参加する。クーデター後の政権で労働庁(のちの労働福祉庁)の長官となり、労働組合との交渉を通じて団体交渉権の拡大、有給休暇や年末賞与の制度化などを進め、労働者層の支持を急速に集めた。これを警戒した軍内部の反対派により1945年10月に拘束されたが、10月17日に労働者の大規模なデモが起こって釈放され、まもなく女優のエバ・ドゥアルテ(エバ・ペロン)と結婚した。1946年2月の大統領選挙に勝利して同年6月に就任し、五カ年計画による工業化、鉄道・中央銀行など基幹部門の国有化、社会保障の拡充を実施し、1947年には女性参政権が認められた。1949年の憲法改正で連続再選が可能となり1951年に再選されたが、経済の停滞やカトリック教会との対立が深まり、1955年9月の軍事クーデターで失脚して国外へ脱出した。以後パラグアイ、ベネズエラなどを経て1960年からスペインに亡命し、アルゼンチン国内では長くペロン派の政治活動が制限された。1973年に18年ぶりに帰国して同年9月の選挙で三度目の大統領に選ばれたが、翌1974年7月1日に在任のまま死去し、副大統領の妻イサベルが後を継いだ。労働組合を基盤とし、社会正義・経済的自立・政治的主権を掲げるペロン主義(正義主義)は、現在に至るまでアルゼンチン政治の主要な潮流となっている。