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特集コレクション

蜀 (Shu)

漢室復興を掲げた義の国

前漢・後漢の流れをくむ劉備が、関羽・張飛と桃園の誓いを結び、天才軍師・諸葛亮の「天下三分の計」を基に益州に建国した。義を重んじ、多くの名将が漢室復興のために戦い抜いた。

📖 蜀漢とは

蜀漢(221年〜263年)は漢の血統を受け継ぐ劉備が、益州(現在の四川省)を拠点に建国した国家です。正式な国号は「漢」ですが、前漢・後漢と区別するため「蜀漢」と呼ばれます。

三国志演義では主人公格として描かれる蜀漢の物語は、劉備・関羽・張飛の「桃園の誓い」に始まり、天才軍師・諸葛亮との「三顧の礼」、赤壁の勝利、荊州・益州の獲得と、ドラマチックな展開が続きます。

しかし、荊州を関羽が失い、夷陵の戦いで呉に大敗した劉備が白帝城で没すると、蜀漢は次第に追い詰められていきます。諸葛亮が5度の北伐を試みるも悲願は叶わず、263年に魏の侵攻で滅亡しました。

🎬 蜀漢の興亡

184年〜207年

劉備の放浪と仲間との出会い

黄巾の乱で挙兵後、各地を転々とする流浪の日々。関羽・張飛と義兄弟の契りを結び、趙雲が合流。諸葛亮との「三顧の礼」で天下三分の計を授かる。

208年〜214年

赤壁の勝利と益州入り

赤壁の戦いで曹操を退け、荊州の南部を確保。さらに劉璋を破って益州を獲得し、蜀の基盤を固める。

219年

漢中王即位と関羽の死

定軍山の戦いで漢中を奪取し、劉備は漢中王を名乗る。しかし関羽が荊州で孫権軍に敗れ処刑される大事件が発生。

221年〜223年

蜀漢建国と夷陵の大敗

劉備が帝位に就き蜀漢を建国。関羽の仇討ちで呉に侵攻するも、夷陵で陸遜に完敗。白帝城で諸葛亮に後事を託して崩御。

228年〜234年

諸葛亮の北伐と五丈原

「出師の表」を上奏し、5度にわたる北伐を敢行。街亭の敗北、泣いて馬謖を斬る逸話。最期は五丈原に陣没し、漢室復興の夢は潰える。

263年

蜀漢の滅亡

魏の鄧艾と鍾会が侵攻。姜維が剣閣で防衛するも、鄧艾が陰平道を迂回して成都に迫り、劉禅が降伏。蜀漢は42年で滅亡。

💡 蜀漢の豆知識

諸葛亮の「空城の計」は創作

城門を開き放ち琴を弾いて司馬懿を退けた「空城の計」は演義の有名場面ですが、正史にはこの記述はありません。32の軍略をまとめた『三十六計』の一つとして定着していますが、諸葛亮の逸話としては創作です。

「泣いて馬謖を斬る」の真相

第一次北伐の街亭の敗北で、諸葛亮が愛弟子の馬謖を涙ながらに処刑した話は有名ですが、正史では馬謖は逃亡して獄死したという記録もあり、「泣いて斬った」のかは諸説あります。

「阿斗」は本当に暗愚だったのか

劉備の息子・劉禅(幼名:阿斗)は暗愚の代名詞とされますが、実際には蜀漢を40年間存続させており、全くの無能ではなかったと再評価する研究者もいます。諸葛亮の死後も姜維の北伐を支持し続けました。

👤 関連人物 (5名)

📖 関連用語

📍 関連する場所 (5件)

特集年表 (20件)

188年

馬相の乱

劉璋統治下の益州で馬相らによる大規模な反乱が発生した。この混乱に乗じて、野心家・劉焉が益州牧として独立性を強化し、やがて漢中との連携により益州の実質的支配を確立...

190年

虎牢関の戦い

反董卓連合軍と董卓配下の呂布による激戦。虎牢関という要衝を舞台に展開された戦いで、『三国志演義』では大きくクローズアップされ、呂布が無比の武勇を発揮したとされる...

200年

白馬の戦い

官渡の戦いの前哨戦として勃発。曹操軍の客将であった関羽が、袁紹陣営の勇猛な大将・顔良を討ち取り、曹操軍に心理的優位をもたらした。この局地戦の勝利は官渡の戦いでの...

203年

博望坡の戦い

新野に駐屯していた劉備と、曹操軍の夏侯惇による激突。劉備軍が偽装退却による伏兵戦術を採用し、曹操軍の夏侯惇を撃破した。この勝利は劉備の初期の軍事的成功として記録...

208年

赤壁の戦い

208年、長江沿いの赤壁で天下統一を目指す曹操の大軍と、孫権・劉備の連合軍が激突した。連合軍の火攻めと曹操軍内での疫病蔓延が重なり、曹操は大敗して北方へ退却した...

208年

長坂の戦い

荊州に侵攻してきた曹操の大軍に対し、劉備軍は多数の民衆を連れて江陵へ逃避行を行った。当陽の長坂で曹操の精鋭騎兵に追いつかれるが、張飛が橋で立ち塞がり、趙雲が敵陣...

208年

長坂坡の戦い

赤壁の戦いに向かう過程で、南下する曹操軍に対し逃亡中の劉備軍が長坂で追いつかれた戦い。趙雲が単騎で敵軍に突撃したり、張飛が大音声で敵を威嚇するなど劇的なエピソー...

211年

潼関の戦い

馬超と韓遂らが率いる関中の統一された軍閥連合勢力と曹操による激戦。曹操が卓越した離間計を用いて敵連合の内部分裂を誘発し、これを機に敵軍を撃破。この勝利により曹操...

219年

定軍山の戦い

漢中支配権を巡る劉備と曹操の決定的な激戦。蜀の老練な武将・黄忠が曹操軍の勇名高い将・夏侯淵を討ち取り、これを機に劉備軍が漢中全体を制圧。この勝利は劉備の蜀地域で...

219年

樊城の戦い

関羽が北上して曹仁が守る樊城を長江の決壊を利用した水攻めにより包囲した戦役。その後、孙権軍の呂蒙が背後を突いて関羽軍を襲撃し、武聖として敬われた関羽は敗死。蜀は...

222年

夷陵の戦い

関羽の殺害と荊州の奪取に激怒した劉備が、呉の孫権を討つべく起こした大規模な報復戦。しかし呉の若き都督・陸遜の地の利を活かした火攻めと持久策により蜀軍は壊滅的な大...

228年

街亭の戦い

諸葛亮による第一次北伐作戦。蜀軍が要衝・街亭を馬謖に守らせたが、馬謖が山上に陣を置くという失策を犯し、魏の張郃にこれを突かれて大敗。この敗北により諸葛亮の北伐は...

228年

陳倉の戦い

諸葛亮による第二次北伐作戦。陳倉城の守将・郝昭がわずか数千の兵力で城を守備していたが、蜀軍が様々な最新の攻城兵器を用いて激しく攻め立てても落城させることができず...

230年

子午の役

魏の曹真が大軍を率いて蜀への侵攻を試みた戦役。長雨により道中の状況が悪化し、諸葛亮と魏延による堅い防御線を突破できず、最終的に無功のままに撤退。この失敗は蜀の北...

234年

五丈原の戦い

234年、蜀漢の軍師・諸葛亮が五度目の北伐に乗り出し、陝西省の五丈原で魏の司馬懿と百余日にわたって対峙した。諸葛亮は陣中で病死し蜀軍は退却。「死せる孔明、生ける...

244年

興勢の役

魏の曹爽が大軍を率いて蜀の漢中に侵攻した大規模作戦。蜀の王平が興勢山での防衛網を構築し、魏軍の前進を完全に足止めして大損害を与え、魏軍を撃退。この防衛戦の勝利は...

256年

段谷の戦い

蜀の姜維が北伐を敢行した戦役。魏の鄧艾の卓越した軍事的洞察と計略により、蜀軍は段谷で完全に包囲され、部隊が壊滅し多数の死傷者を出す大敗を喫した。この敗北は蜀の軍...

263年

蜀漢の滅亡

魏の司馬昭の命により、鄧艾と鍾会が軍を率いて蜀に侵攻。鍾会が剣閣で姜維と対峙する中、鄧艾が険阻な陰平の間道を踏破して突如成都の目と鼻の先に現れた。劉禅が降伏した...

263年

剣閣の戦い

魏が蜀を滅亡させるための大規模な討伐作戦を開始。蜀の姜維が要害・剣閣で鍾会軍を堂々と足止めしたが、予期しない鄧艾が険しい陰平山道を越えて成都を急襲。蜀の防衛線を...

263年

蜀の滅亡

魏の鄧艾軍が想定外の陰平経由での侵攻により成都が危機に陥り、蜀漢の末代皇帝・劉禅が降伏した戦役。三国時代における最初の滅亡として蜀が歴史から消え去り、三国鼎立の...

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