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特集コレクション

三国志の世界

群雄割拠から三国鼎立へ

後漢末期の黄巾の乱から、魏・呉・蜀の三国鼎立、そして晋による天下統一までの約100年間。数多の英雄たちが覇権を争ったドラマチックな時代を特集します。

魏 (Wei)

覇王 曹操の築いた最大国家

蜀 (Shu)

漢室復興を掲げた義の国

呉 (Wu)

江東の虎が拓いた水軍の国

📖 三国志とは

三国志とは、後漢末期の混乱から魏・蜀・呉の三国が並び立ち、最終的に晋(西晋)が天下を統一するまでの約100年間(184年〜280年)の歴史を記した正史『三国志』(陳寿著)と、それを基にした小説『三国志演義』(羅貫中著)の総称です。

日本では特に『三国志演義』の影響が強く、劉備・関羽・張飛の「桃園の誓い」、諸葛亮の「天下三分の計」、そして赤壁の大決戦など、ドラマチックなエピソードが広く知られています。

正史と演義には多くの相違点があり、演義では蜀漢を正統として美化する傾向がありますが、史実では魏が最大の国力を持ち、最終的に魏を禅譲で奪った司馬氏の晋が天下を統一しました。

🎬 三国志の時代の流れ

184年

黄巾の乱 ― 後漢崩壊の始まり

太平道の張角が起こした農民反乱。後漢朝廷は各地の豪族に討伐を委ね、結果として群雄割拠の時代が幕を開ける。

189年〜192年

董卓の暴政と群雄の台頭

董卓が洛陽を掌握し暴政を敷く。反董卓連合が結成されるも内部対立で瓦解。董卓は呂布に暗殺され、曹操・袁紹・劉備・孫策らが各地で勢力を拡大。

200年

官渡の戦い ― 曹操、華北を制す

華北の覇権をかけて曹操と袁紹が激突。兵力で劣る曹操が奇策で大勝し、華北統一の道を切り開く。

208年

赤壁の戦い ― 三国鼎立の決定打

南征する曹操の大軍を、孫権・劉備連合軍が火攻めで撃破。曹操の天下統一は阻まれ、三国鼎立の構図が確定する。三国志最大の名場面。

220年〜222年

三国の建国

220年に曹丕が後漢から禅譲を受けて魏を建国。221年に劉備が蜀漢を、229年に孫権が呉を建国。三国鼎立が正式に成立。

228年〜234年

諸葛亮の北伐

蜀漢の丞相・諸葛亮が魏への北伐を5度にわたり実施。街亭の戦いでの馬謖の失敗、五丈原での陣没など、悲壮な戦いが続く。

263年〜280年

蜀漢・呉の滅亡と西晋の統一

263年に魏(実質は司馬氏)が蜀漢を滅ぼし、265年に司馬炎が魏から禅譲を受けて晋を建国。280年に呉を滅ぼし天下統一を達成。約100年の三国時代が終焉。

🤝 主要人物の関係

曹操宿敵劉備
曹操赤壁で激突孫権
劉備同盟→対立孫権
劉備三顧の礼諸葛亮
劉備義兄弟関羽
劉備義兄弟張飛
諸葛亮宿命のライバル司馬懿
孫権主従・軍師周瑜
董卓主従→暗殺呂布
呂布愛人貂蝉

💡 三国志 よもやま話

正史と演義は何が違う?

正史『三国志』は陳寿が晋の臣下として編纂した歴史書で、魏を正統王朝として扱います。一方『三国志演義』は明代の小説で、蜀漢の劉備を主人公として描き、「七実三虚」(7割は史実、3割は創作)と言われています。赤壁の戦いの「借東風」や「空城の計」は演義の創作です。

「桃園の誓い」は史実ではない

劉備・関羽・張飛が桃園で義兄弟の契りを結ぶ有名な場面は、演義の創作です。正史には三人が「寝食を共にし、恩は兄弟のようであった」という記述があるのみで、正式な義兄弟の儀式は記録されていません。

「三国」の領土面積は大きく異なった

魏は当時の中国の約半分(華北全域)を支配し、人口も最大でした。呉は長江以南の広い地域を支配しましたが、開発が遅れていました。蜀は現在の四川省周辺のみで、最小の領土・人口でしたが、険しい地形を天然の要塞としていました。

👤 関連人物 (13名)

その他

📖 関連用語

📍 関連する場所 (9件)

官渡
河南省中部にある古代の交通の要衝。三国志の官渡の戦い(200年)で曹操が袁紹に大勝した古戦場。北中国の支配権を決めた重要な戦地。
中国 (緯度: 34.72, 経度: 114)
許昌
河南省中部の古都。三国志では曹操の根拠地で、政治的に重要な都市。漢帝の遷都先として知られる。
中国 (緯度: 34.03, 経度: 113.82)
建業
江蘇省南京の古称。三国志では孫権の首都として、東吴の政治・経済の中心地。南部地域の最重要都市。
🏷️ 都市CN
五丈原
陝西省岐山県にある古代の戦場。三国志の五丈原の戦い(234年)で諸葛亮が陣を張った地。蜀漢の最後の北伐の舞台。
中国 (緯度: 34.17, 経度: 107.63)
合肥
安徽省の古都で、三国志では孫権の拠点の一つ。淝水の戦いなど複数の重要な戦いの舞台となった。東吴の重要な経済・軍事拠点。
中国 (緯度: 31.82, 経度: 117.23)
成都
四川省の古都。三国志では蜀漢の首都として知られ、益州の経済・文化中心地。漢代以来、長江流域を代表する重要な都市。
🏷️ 都市CN
赤壁
湖北省赤壁市にある長江沿岸の古戦場。三国志の赤壁の戦い(208年)で有名な地点で、孫権と劉備の連合軍が曹操軍に大勝利を収めた舞台。
中国 (緯度: 29.73, 経度: 113.94)
長安
陝西省西安にある古都。秦漢唐など複数の王朝の首都として栄え、シルクロード交易の中心地となった。中国古代の最も重要な都市の一つ。
🏷️ 都市CN
洛陽
河南省の古都。周朝、漢朝、唐朝など複数の王朝の首都として繁栄。シルクロード上の経済・文化交流の中心地。
中国 (緯度: 34.68, 経度: 112.45)

特集年表 (11件)

184年

黄巾の乱

184年、道教系宗教結社「太平道」の指導者・張角が全国各地で同時多発的な武装反乱を主導した。黄色の頭巾を目印とした兵士たちは後漢朝廷を震撼させたが鎮圧された。乱...

189年

董卓の洛陽入場

霊帝の崩御と十常侍の乱による混乱に乗じ、涼州の軍閥・董卓が軍を率いて首都洛陽に入廷した。董卓は少帝を廃し献帝を立てて実権を掌握。これに対して袁紹や曹操ら反董卓連...

190年

反董卓連合の結成

董卓の暴政に反抗するため、袁紹を盟主とし、曹操、孫堅、公孫瓚らの諸侯が関東で結集した。連合軍の圧力を受け、董卓は洛陽を焼き払って長安へ強行遷都した。その後連合は...

200年

官渡の戦い

200年、華北の覇権を巡って曹操と袁紹が激突した戦い。兵力で劣る曹操が、袁紹軍の兵糧基地である烏巣を奇襲して焼き討ちにし、大逆転勝利を収めた。この戦いにより曹操...

208年

赤壁の戦い

208年、長江沿いの赤壁で天下統一を目指す曹操の大軍と、孫権・劉備の連合軍が激突した。連合軍の火攻めと曹操軍内での疫病蔓延が重なり、曹操は大敗して北方へ退却した...

208年

長坂の戦い

荊州に侵攻してきた曹操の大軍に対し、劉備軍は多数の民衆を連れて江陵へ逃避行を行った。当陽の長坂で曹操の精鋭騎兵に追いつかれるが、張飛が橋で立ち塞がり、趙雲が敵陣...

220年

三国時代の開始

後漢が滅び、中国が魏・呉・蜀の三国に分裂。各国は領土拡大と統一を目指して激しい戦闘を繰り広げた。約100年続いたこの時代は、多くの英傑が活躍し、多数の文献や史料...

222年

夷陵の戦い

関羽の殺害と荊州の奪取に激怒した劉備が、呉の孫権を討つべく起こした大規模な報復戦。しかし呉の若き都督・陸遜の地の利を活かした火攻めと持久策により蜀軍は壊滅的な大...

234年

五丈原の戦い

234年、蜀漢の軍師・諸葛亮が五度目の北伐に乗り出し、陝西省の五丈原で魏の司馬懿と百余日にわたって対峙した。諸葛亮は陣中で病死し蜀軍は退却。「死せる孔明、生ける...

263年

蜀漢の滅亡

魏の司馬昭の命により、鄧艾と鍾会が軍を率いて蜀に侵攻。鍾会が剣閣で姜維と対峙する中、鄧艾が険阻な陰平の間道を踏破して突如成都の目と鼻の先に現れた。劉禅が降伏した...

280年

呉の滅亡と西晋の統一

晋の司馬炎(武帝)が複数路から大軍を派遣し、暴君・孫晧が支配していた呉に侵攻。建業が陥落して孫晧が降伏した。これにより呉は滅亡し、後漢末期の黄巾の乱から約百年続...

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