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特集コレクション

呉 (Wu)

江東の虎が拓いた水軍の国

孫堅・孫策が築いた江東の基盤を受け継ぎ、孫権が長江の天険を活かして建国した。赤壁の戦いで曹操の南下を阻み、強大な水軍と孫家の結束で確固たる勢力を築いた。

📖 孫呉とは

呉(229年〜280年)は、長江の南側(江南地方)に強固な基盤を築いた孫権によって建国された国家です。

父の「江東の虎」孫堅、兄の「小覇王」孫策が切り開いた領地を、若くして継いだ孫権は、周瑜や陸遜をはじめとする優秀な家臣団に支えられ、大国・魏の侵攻を幾度も退けました。特に赤壁の戦い(208年)での勝利は、三国鼎立の形を決定づけた歴史的な転換点です。

強力な水軍を擁し、長江という天然の要害を活かして長期にわたり独立を維持しましたが、最後は西晋の圧倒的な軍事力の前に降伏し、三国の中で最後に滅亡しました。

🎬 呉の興亡

190年〜200年

孫堅・孫策の江東平定

孫堅が反董卓連合で活躍するも戦死。後を継いだ孫策が短期間で江東一帯を平定し、「小覇王」と呼ばれるも暗殺される。

200年

孫権の家督相続

孫策の死後、19歳で孫権が後を継ぐ。張昭や周瑜らの補佐を受け、勢力圏の維持・拡大に努める。

208年

赤壁の戦いと三国鼎立への道

曹操の大軍が南下する中、降伏論を退けて開戦を決意。劉備軍との同盟の下、大都督・周瑜の指揮による火攻めで曹操軍を撃破。

219年〜222年

荊州奪還と夷陵の戦い

劉備軍の関羽を討ち、悲願であった荊州を奪還。これに激怒した劉備の進攻(夷陵の戦い)を陸遜が火攻めで退ける。

229年

孫権の皇帝即位

魏・蜀に遅れて孫権が皇帝に即位し、正式に呉を建国(都:建業)。三国鼎立が完成する。

280年

呉の滅亡

末期は後継者争い(二宮の変)や暴君・孫晧の悪政により国力が低下。西晋の侵攻を受けて降伏し、三国時代が完全に終結。

💡 呉の豆知識

「合肥の戦い」での因縁

呉が北伐を目指す上で最大の障害となったのが「合肥」です。孫権は幾度も大軍で合肥を攻めましたが、魏の名将・張遼らの前にことごとく敗退しました。特に第二次合肥の戦いにおける「張遼の逍遥津での奇襲」は有名で、江南では泣く子も黙る「遼来々(張遼が来るぞ)」という言葉が生まれました。

長江という「最大の防御防壁」

呉が三国の中で最後まで生き残れた最大の理由は「長江」の存在と強力な水軍です。当時の北方軍は水上戦に不慣れであり、長江を渡って進軍することは極めて困難でした。

二宮の変(二宮事件)

孫権の晩年に起こった凄惨な後継者争い。皇太子の孫和と魯王の孫覇による派閥争いは家臣団を二分し、陸遜などの重臣の死を招き、呉の国力を著しく削ぐ結果となりました。

👤 関連人物 (2名)

📖 関連用語

📍 関連する場所 (3件)

特集年表 (25件)

190年

虎牢関の戦い

反董卓連合軍と董卓配下の呂布による激戦。虎牢関という要衝を舞台に展開された戦いで、『三国志演義』では大きくクローズアップされ、呂布が無比の武勇を発揮したとされる...

191年

陽人の戦い

反董卓連合軍の孫堅が董卓配下の胡軫と呂布の軍勢と陽人で戦闘。孫堅が董卓軍の有名な武将・華雄を討ち取るなど大勝利を獲得。この勝利は孫堅の武名を高め、江東統一への足...

191年

襄陽の戦い

袁術の指示を受けた孫堅が劉表統治下の荊州襄陽を攻撃した戦い。孙堅が優勢に戦闘を展開していたが、劉表軍の伏兵による矢を受けて戦死。孫堅の死は孫策による江東統一へ向...

195年

孫策の江東平定

孫策が江東地域の複数の軍閥勢力(劉繇、厳白虎、王朗ら)を次々と撃破し統一した一連の戦役。わずか数年の間に江東を統一したこの成功により、孫策は強固な地域基盤を確立...

208年

赤壁の戦い

208年、長江沿いの赤壁で天下統一を目指す曹操の大軍と、孫権・劉備の連合軍が激突した。連合軍の火攻めと曹操軍内での疫病蔓延が重なり、曹操は大敗して北方へ退却した...

208年

長坂の戦い

荊州に侵攻してきた曹操の大軍に対し、劉備軍は多数の民衆を連れて江陵へ逃避行を行った。当陽の長坂で曹操の精鋭騎兵に追いつかれるが、張飛が橋で立ち塞がり、趙雲が敵陣...

208年

合肥の戦い(第一次)

赤壁の戦い直後、孫権の大軍が合肥城を包囲攻撃した局地戦。曹操軍の張遼や蔣済らが見事な計略を駆使して防衛に成功。この勝利は赤壁敗北後の曹操陣営の士気を回復させ、呉...

213年

濡須口の戦い(第一次)

巣湖・濡須口の水上要衝を巡って孫権と曹操による激戦。孫権軍の強固な防御線により、曹操は突破できず撤退。曹操は孙権の才能に感嘆し「子を生むなら孙仲謀(孙権)のよう...

214年

濡須口の戦い(第二次)

合肥周辺の皖城を巡る戦いに続いて、孫権率いる呉軍が曹操陣営の濡須口周辺に対して一連の局地戦を展開した重要な戦役。孫権の南中国支配権強化と曹操軍の北方支配権の確立...

215年

陽平関の戦い

漢中の支配権を巡る劉備と曹操の激戦。曹操が漢中を平定することで、益州の劉備陣営と直接国境を接することになり、三国の勢力図が更に明確化。この戦いは劉備の漢中進出戦...

215年

合肥の戦い(第二次)

孫権が10万の大軍で無人の合肥城を包囲した大規模攻撃。わずかな兵力で守備する張遼・李典・楽進らが決死の突撃を敢行し、孙権軍を撃退。逍遥津での戦いとも呼ばれ、少数...

217年

濡須口の戦い(第三次)

曹操が大軍を率いて濡須口に再度侵攻した戦役。数ヶ月に及ぶ対陣状態が続いたが、曹操軍は呉軍の頑強な抵抗と防御に対処できず撤退を決定。その後、孙权は名目上の臣従とい...

219年

樊城の戦い

関羽が北上して曹仁が守る樊城を長江の決壊を利用した水攻めにより包囲した戦役。その後、孙権軍の呂蒙が背後を突いて関羽軍を襲撃し、武聖として敬われた関羽は敗死。蜀は...

222年

夷陵の戦い

関羽の殺害と荊州の奪取に激怒した劉備が、呉の孫権を討つべく起こした大規模な報復戦。しかし呉の若き都督・陸遜の地の利を活かした火攻めと持久策により蜀軍は壊滅的な大...

222年

濡須口の戦い(第四次)

曹丕による呉への三方面進攻作戦のひとつ。曹仁が大軍で濡須口を攻撃した激戦。呉の名将・朱桓が巧妙な防御戦術と兵站戦を駆使して魏軍の攻撃を完全に撃退。この防衛戦の勝...

222年

洞浦の戦い

曹丕の対呉三方面進攻作戦のひとつ。長江の重要な水上拠点を巡る激戦で、魏の曹休率いる艦隊と呉の呂範率いる艦隊が長江で激しく激突。両軍が互角の攻防を繰り広げたが、最...

228年

石亭の戦い

呉の周魴が曹操陣営に偽装投降して魏の曹休を誘い出し、待ち伏せしていた陸遜らの大軍による挟撃作戦を実行。この計略により曹休軍は大敗を喫し、呉が漢中への影響力を拡大...

233年

合肥の戦い(第三次)

孫権が率いる呉軍による合肥新城攻撃。魏の名将・満寵の洞察力に富んだ防衛策と夜間奇襲により、孫権軍は予想外の抵抗に遭遇して撃退される。この敗北は孫権の権力確立期に...

234年

合肥の戦い(第四次)

諸葛亮の第五次北伐に呼応して孙権が合肥新城を包囲した戦役。曹叡が親征軍を率いて激突する動きを察知した孙权は、戦わずして撤退を決定。この決定は孙权の戦略的判断の正...

241年

芍陂の役

呉の全琮率いる軍勢が魏の領土・芍陂(寿春周辺)へ侵攻し、周辺の堤防を破壊する破壊戦術を実施。魏の王淩の迅速な反撃により、呉軍は敗退を余儀なくされた。この局地戦は...

252年

東興の戦い

孫権の死後、呉の権力基盤が不安定化した時期に、魏の胡遵と諸葛誕らが大軍で侵攻。これに対し呉の若き名将・諸葛恪と武勇・丁奉らが驚異的な奇襲作戦で対抗し、魏軍を壊滅...

253年

合肥の戦い(第五次)

東興の戦いで大勝した諸葛恪が20万の大軍で合肥新城を包囲した大規模攻撃。数ヶ月に及ぶ頑強な籠城に加え、疫病が呉軍に蔓延したため、諸葛恪は撤退を余儀なくされた。こ...

272年

西陵の戦い

西陵城の呉の将軍・歩闡が晋に寝返り西陵城に立て籠もった局地戦。呉の名将・陸抗が晋軍の強力な救援部隊を見事に阻止し、孤立した歩闡を討伐。この戦役はやがて来る呉の滅...

279年

呉の滅亡

晋の司馬炎が六方面から大軍を同時侵攻させ、翌年春に呉の末代皇帝・孫晧が降伏した戦役。これにより三国時代が終焉を迎え、約百年に及ぶ分裂状態を終わらせ、中華統一を実...

280年

呉の滅亡と西晋の統一

晋の司馬炎(武帝)が複数路から大軍を派遣し、暴君・孫晧が支配していた呉に侵攻。建業が陥落して孫晧が降伏した。これにより呉は滅亡し、後漢末期の黄巾の乱から約百年続...

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