古代
律令制(りつりょうせい)
別名: 律令
関連国・地域: JP, CN
刑罰法典である「律」と、行政組織や租税・土地制度などを定めた「令」を柱とする中央集権的な統治体制。中国では隋・唐の時代に整備され、東アジアの周辺諸国にも受容された。日本では7世紀後半、白村江の敗戦(663年)を経て国家体制の整備が急がれるなかで段階的に導入が進み、689年の飛鳥浄御原令、701年の大宝律令によって体系が整い、718年に編まれた養老律令が757年に施行された。中央には祭祀を担う神祇官と一般行政を統括する太政官が置かれ、太政官のもとに中務・式部・治部・民部・兵部・刑部・大蔵・宮内の八省が属した(二官八省)。地方は国・郡・里に区分され、中央から派遣された国司と、在地の豪族から任じられた郡司が統治にあたった。人民は6年ごとに作成される戸籍に登録され、班田収授法により口分田を支給されるかわりに、租・庸・調の負担と雑徭・兵役を課された。8世紀に入ると口分田の不足や農民の逃亡が広がり、743年の墾田永年私財法によって開墾地の私有が認められると、有力貴族や寺社による荘園の形成が進んだ。平安時代には令に規定のない令外官(蔵人所・検非違使など)が実務を担うようになり、10世紀以降は個々の農民ではなく有力農民が請け負う名田を単位に徴税する方式へ移行して、当初の制度は実態を失っていった。もっとも律令の法典そのものは形式的には長く効力を保ち、官職の名称や朝廷の儀礼は近代に至るまで受け継がれた。