後漢末期の混乱を平定し、華北の広大な地を支配した曹操によって基礎が築かれた。のちに曹丕が後漢の献帝から禅譲を受け、三国の中で最初に建国された国。強力な軍事力と屯田制などの優れた内政で他国を圧倒した。
魏(220年〜265年)は三国時代において最大の版図と人口を有した国家です。創建者の曹操は後漢末期、兗州を拠点に群雄割拠の混乱を勝ち抜き、官渡の戦いで宿敵・袁紹を破って華北を統一しました。
曹操は屯田制(兵士や流民に耕作させる制度)や唯才是挙(才能のみで人材を登用する方針)といった革新的な政策を推し進め、荒廃した中原の復興に成功しました。また「建安文学」と呼ばれる文芸の黄金時代を牽引した文化人でもありました。
曹操の死後、子の曹丕が後漢の献帝から禅譲を受けて正式に魏を建国。しかし次第に実権は重臣の司馬氏に移り、265年に司馬炎(武帝)が魏から禅譲を受けて晋を建国しました。
董卓の暴政に対する挙兵で名を上げ、兗州を拠点に勢力を拡大。献帝を許昌に迎え、天子を擁する大義名分を確保。
10万の袁紹軍に対し、わずか2万の兵力で勝利。烏巣の兵糧を焼き払う奇策が勝因。華北統一の転換点となった。
南征した曹操は赤壁で孫権・劉備連合に大敗。荊州の一部を失い、天下統一の夢は潰える。
曹操の死後、曹丕が献帝から禅譲を受け魏を建国。九品官人法を制定し、貴族政治の基盤を整備。
諸葛亮を五丈原で退けた司馬懿が権力を掌握。孫の司馬炎が晋を建国し、魏は45年で幕を閉じる。
曹操は「短歌行」「観滄海」など数多くの名詩を残し、息子の曹丕・曹植とともに「建安文学」の担い手として文学史に名を残しています。「対酒当歌、人生幾何」は曹操の詩の名句です。
演義では劉備を正統として描くため、曹操は狡猾な悪役として描かれがちですが、正史では優れた政治家・軍事家として高く評価されています。近年は再評価が進んでいます。