中世
ツェティンの議会とハプスブルク家の王位選出
🇭🇷クロアチア
1526年のモハーチの戦いでハンガリー・クロアチア王ラヨシュ2世が戦死し王位が空位になると、クロアチアの貴族たちは1527年1月1日、ツェティン(現在のツェティングラード)の城に集まり、ハプスブルク家のフェルディナント1世をクロアチア王に選出した。貴族側はオスマン帝国の侵攻に対する軍事的な保護と国境防衛の負担を求め、フェルディナント側もこれを約束したうえで即位した。これによりクロアチアはハプスブルク家の統治下に入り、その結び付きは1918年のオーストリア=ハンガリー帝国の解体まで約400年続いた。オスマン帝国との境界地帯にはのちに軍政国境地帯(クライナ)が組織され、常備の防衛体制と多様な住民の入植が進んだ。