中世

パガン朝の崩壊とモンゴル(元)の侵攻

🇲🇲ミャンマー

13世紀後半、中国を支配した元(モンゴル)はパガン朝に服属を求めたが、ナラティーハパテ王がこれを拒んだため両者の関係は決裂した。1277年頃から元軍は雲南方面からビルマ北部へ侵攻を重ね、1287年の遠征によってパガン朝は事実上崩壊した。ナラティーハパテは南方へ逃れ、後世「タヨウピェーミン(中国人から逃げた王)」と呼ばれるようになり、同年、王子ティハトゥによって死に追いやられたと伝えられる。名目上の王統はしばらく残ったものの実権は各地の有力者に移り、1297年にはミンサインを拠点とする三兄弟が上ビルマの実権を握った。以後、上ビルマではシャン系の諸勢力、下ビルマではモン人のハンターワディー朝が並び立つ分裂の時代が続き、統一が回復されるのは16世紀のタウングー朝を待つことになる。首都パガンは政治の中心としての地位を失ったが、平原に建ち並ぶ仏塔群は後世まで残り、現在のバガン遺跡群を形づくっている。

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