中世864年 〜 927年

シメオン1世しめおんいっせい

別名: シメオン大帝・Simeon I・Симеон I

第一次ブルガリア帝国の君主(在位893〜927年)。864年頃、ブルガリアをキリスト教化したボリス1世の子として生まれた。少年期をコンスタンティノープルで過ごしてギリシア語と古典の教育を受け、当初は聖職者となることを予定されていたが、兄ウラジミルが異教への復帰を図って廃位されたため、893年に君主の位に就いた。即位にあたって首都はプリスカからプレスラフに移され、スラヴ語による典礼と文書行政が推し進められた。治世中はビザンツ帝国との交易・国境をめぐる争いから幾度も戦端が開かれ、894年の戦争や917年のアヘロオス川の戦いなどで勝利を収め、支配領域を今日のセルビア南部からギリシア北部に及ぶ範囲へ広げた。913年にコンスタンティノープル郊外で戴冠を受けたのち「ブルガリア人の皇帝(ツァール)」を称し、コンスタンティノープルの占領は果たせなかったものの、ビザンツ帝国と並ぶ帝権を主張した。文化面では自らも著述・翻訳を奨励し、プレスラフ文学学校でギリシア語の神学・歴史書がスラヴ語に訳され、ブルガリア文化の「黄金時代」と呼ばれる時期を築いた。927年に没し、子ペタル1世の代にビザンツ帝国と和議が結ばれ、ブルガリア君主のツァール号とブルガリア総主教座が承認された。

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