近現代1809年 〜 1882年
チャールズ・ダーウィン
別名: ダーウィン
イギリスの博物学者・地質学者で、自然選択(自然淘汰)による生物進化の理論を確立した。1809年2月12日、イングランド中西部シュルーズベリーの医師の家に生まれた。エディンバラ大学で医学を学ぶが馴染めず、ケンブリッジ大学に移って神学を修めるかたわら博物学に傾倒する。1831年から1836年にかけて、ロバート・フィッツロイ艦長の測量船ビーグル号に博物学者として同乗し、南アメリカ沿岸やガラパゴス諸島、オーストラリア、南アフリカなどを巡った。この航海で採集した化石や、島ごとに姿の異なるゾウガメやマネシツグミなどの観察が、種は不変ではないという着想の出発点となった。帰国後はチャールズ・ライエルの斉一説的な地質学と、トマス・マルサスの人口論から示唆を得て、生存をめぐる競争のなかで有利な変異をもつ個体が子孫を残しやすいという自然選択の考えをまとめていった。航海記『ビーグル号航海記』(1839年)やサンゴ礁の沈降説で研究者としての評価を得つつも、進化に関する理論の公表には慎重で、フジツボの分類研究などに長い年月を費やした。1858年、東南アジアで調査中のアルフレッド・ラッセル・ウォレスから同趣旨の論文が送られてきたことを機に、両者の論考がロンドン・リンネ協会で共同発表され、翌1859年に主著『種の起源』を刊行した。同書は生物学の基礎を大きく塗り替える一方、人間の位置づけをめぐって宗教界を含む広い論争を呼んだ。その後も『人間の由来』(1871年)、『人及び動物の表情について』(1872年)などを著し、晩年はミミズと土壌の研究にも取り組んだ。1882年4月19日に死去し、ウェストミンスター寺院に葬られた。