1823年 〜 1899年
勝海舟
別名: 勝麟太郎・勝義邦・勝安芳・かつ かいしゅう
幕臣・政治家、幕末三舟の一人(山岡鉄舟・高橋泥舟と並ぶ)。蘭学・砲術を修め、ペリー来航時の海防意見書が阿部正弘に認められ幕府に登用された。1860年に咸臨丸艦長として日米修好通商条約批准書交換のため渡米(日本人初の太平洋横断)。神戸海軍操練所を開設し坂本龍馬ら脱藩浪士も受け入れた進歩的開明派。1868年3月、戊辰戦争で江戸に迫る新政府軍参謀・西郷隆盛と江戸薩摩藩邸で会談し、徳川慶喜助命と江戸無血開城を実現、江戸の市民100万を戦火から救った歴史的偉業として評価される。維新後は新政府海軍卿・枢密顧問官に就任。回想録『氷川清話』『海舟日記』を残し、1899年77歳で病没。皮肉と諧謔に富む江戸っ子気質の文人政治家として親しまれた。