中世
マヤ古典期文明の崩壊 ― 謎の放棄
🇲🇽メキシコ・中米
800〜900年代に、マヤ南部低地(現グアテマラ・ベリーズ・メキシコ南部)の主要都市が次々と放棄された。石碑の建立が突然止まり、宮殿・神殿が廃墟となった。崩壊の原因については長期旱魃・農業生産の限界・都市国家間の戦争・政治的混乱・疫病など諸説があるが、単一の原因ではなく複合的要因とされる。崩壊後もユカタン半島では「後古典期マヤ」として文明が継続し、チチェン・イツァ(9〜13世紀)が台頭した。スペイン人が到来した16世紀にも数十万のマヤ人が生活しており、文明は消滅したのではなく変容したのである。現在もグアテマラ・メキシコに700万人以上のマヤ語話者が存在する。