近現代
二・二六事件
🇯🇵日本
1936年2月26日未明、陸軍皇道派の青年将校(野中四郎大尉・安藤輝三大尉・栗原安秀中尉・河野寿大尉ら22名)が指揮する第一師団・近衛師団の下士官兵1,483名が決起したクーデター未遂事件。前年の相沢事件で高揚した皇道派と、永田鉄山暗殺後も人事で主導権を握る統制派の対立が背景にあり、北一輝『日本改造法案大綱』に基づく「昭和維新」を掲げて、天皇親政の実現と元老・重臣・統制派の排除を目指した。岡田啓介首相(弟が首相と誤認され殺害)、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監を殺害し、鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ、永田町・霞が関一帯を4日間占拠した。昭和天皇は側近を殺害されたことに激怒し「朕自ら近衛師団を率いて鎮圧に当たる」とまで発言、陸軍首脳の曖昧な対応を退けて即時鎮圧を命じた。2月29日に「兵に告ぐ」ラジオ放送で下士官兵に原隊復帰を呼びかけ、反乱部隊は解体。非公開の特設軍法会議で野中ら将校17名・民間人の北一輝・西田税が死刑、北一輝は黒幕として銃殺。結果として皇道派は壊滅し、以後陸軍は統制派(東條英機ら)主導で国家総動員・日中戦争拡大へ向かう。政党は軍部に対する抑制力を完全に失い、広田弘毅内閣で軍部大臣現役武官制が復活、軍部の内閣支配が制度化された。