近世

生麦事件 ― 薩摩藩士による英国人殺傷

🇯🇵日本

1862年9月14日(文久2年8月21日)、武蔵国橘樹郡生麦村(現横浜市鶴見区生麦)で、参勤交代行列を組んでいた薩摩藩国父・島津久光の行列と乗馬中の英国商人リチャードソンら4名が遭遇。下馬・退避を拒んだ(あるいは行列礼法に不慣れだった)と判断した薩摩藩士・奈良原喜左衛門らが斬りかかり、リチャードソンを殺害、2名に重傷を負わせた事件。英国は幕府に賠償金10万ポンド、薩摩藩に2万5千ポンドと犯人処刑を要求。幕府は支払ったが、薩摩藩は拒否したため、翌1863年8月の薩英戦争(鹿児島湾砲撃)に発展した。薩摩は敗北を通じて英国海軍力を実感し、攘夷の非現実性を悟って急速に開国・倒幕路線へ転換、英国との緊密な関係構築(武器供与・留学生派遣)を始める。皮肉にも生麦事件が英薩同盟の起点となった。

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