近世

寺田屋騒動 ― 薩摩藩内尊攘派粛清

🇯🇵日本

1862年5月21日(文久2年4月23日)、京都伏見の旅館・寺田屋で、薩摩藩国父・島津久光の命を受けた藩士が、寺田屋に集結した過激尊攘派の薩摩藩士9名を上意討ちにした事件。薩摩藩士・有馬新七を中心とする尊攘派は、関白九条尚忠と所司代酒井忠義を襲撃して挙兵し、藩主父子に攘夷親征を迫る計画を立てていたが、公武合体路線を進める久光は奈良原喜八郎・大山綱良ら8名を派遣して翻意を迫った。同志討ちの末に有馬ら6名が斬殺、3名が自刃して計9名が死亡、生き残った2名は切腹となった。久光が藩内尊攘派を粛清したことで薩摩は公武合体路線を確立、その後の文久の改革・八月十八日の政変で会津・薩摩同盟の中核を担うことになる。同じ寺田屋では1866年に坂本龍馬襲撃事件(寺田屋遭難)も起きており、両者は別事件。

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