近世
文久の改革 ― 松平容保の京都守護職就任
🇯🇵日本
1862年(文久2年)8月以降、勅使・大原重徳と島津久光に圧迫された幕府が断行した一連の幕政改革。①徳川慶喜の将軍後見職就任、②松平慶永(春嶽)の政事総裁職就任、③会津藩主松平容保の京都守護職新設・就任、④参勤交代の3年1勤への大幅緩和、⑤洋式陸海軍の整備(西洋式調練導入)が中核。京都守護職の松平容保は会津藩兵1,000を率いて京に上り、過激尊攘派の取り締まりを担当した(後に新選組を傘下に組み込む)。一連の改革は朝廷の発言力を制度化し(雄藩・朝廷の幕政参与)、幕府主導の枠組みを崩した点で「幕府の自己解体の始まり」と評される。同時に容保の京都守護職就任は会津藩を尊攘派の最大の標的とし、戊辰戦争・会津戦争の悲劇への伏線となった。