近世

小ジュズのロシア保護受け入れ ― カザフ草原のロシア編入の始まり

🇰🇿カザフスタン

18世紀前半、カザフ草原の遊牧民は東方から進出したジュンガル(オイラト)の圧迫を受け、1723年に始まる大規模な侵攻は多数の住民が家畜と土地を失って南方へ逃れる事態を招き、カザフの伝承では「アクタバン・シュブルンドゥ(大災厄)」と呼ばれている。この危機のなか、三つのジュズ(部族連合)のうち西部の小ジュズ(キシ・ジュズ)を率いるアブルハイル・ハンはロシア帝国に保護を求め、1731年、女帝アンナの勅書を受けて臣従の宣誓が行われた。1740年前後には中ジュズ(オルタ・ジュズ)の有力者も同様にロシアの保護を受け入れ、南東部の大ジュズ(ウル・ジュズ)が完全に組み込まれるのは19世紀半ばである。ロシアはオレンブルクなどの要塞線を草原の縁に築いて支配を固め、1822年の「シベリア・キルギス人条例」で中ジュズの、1824年に小ジュズのハン位を廃止して行政区に再編した。これに対し1837年から1847年にかけてケネサル・カスモフが大規模な抵抗運動を起こしたが鎮圧され、カザフ草原はロシア帝国の統治下に置かれた。

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