中世
元朝の中国支配の終焉と北元
🇲🇳モンゴル
14世紀半ばの元朝は、帝位継承をめぐる内紛、黄河の氾濫や飢饉、紙幣の乱発による経済混乱が重なって統治力を失い、紅巾の乱をはじめとする反乱が各地に広がった。反乱勢力から台頭した朱元璋は1368年に南京で明を建国し、徐達らの率いる北伐軍が同年に大都(現在の北京)へ迫った。最後の皇帝トゴン・テムル(順帝)は都を捨てて上都、次いで応昌へ退き、1370年に応昌で没した。以後もモンゴルの君主はモンゴル高原で「大元」の国号と皇帝号を保持し続け、この政権は一般に北元と呼ばれる。明はたびたび北方へ遠征し、1388年のブイル湖付近の戦いでトグス・テムルが敗れて殺害されると、元の帝統は事実上断絶し、モンゴル高原は諸部族が争う分裂の時代に入った。中国王朝の支配は明へ移ったが、モンゴルと明の対立はその後200年以上続いた。