近現代

チャコ戦争

🇵🇾パラグアイ

パラグアイボリビアが、両国の間に広がる半乾燥の低地グラン・チャコ(チャコ・ボレアル)の領有をめぐって戦った戦争。この地域はスペイン植民地時代から境界が明確でないまま残され、19世紀後半以降、両国が入植地(フォルティン)を前進させて対峙するようになっていた。太平洋戦争(1879〜84年)でチリに海岸地方を奪われたボリビアにとっては、パラグアイ川を通じて大西洋へ出る通路を確保する意味もあり、また北部の石油資源への期待が対立を強めたとも指摘される。1928年以降に前哨地をめぐる衝突が繰り返され、1932年に本格的な戦闘へ発展した。ボリビア軍はドイツ人のハンス・クント将軍が指揮したが、水の乏しい低地での作戦に苦しみ、ホセ・フェリクス・エスティガリビアが率いるパラグアイ軍が各地で包囲戦に成功して優勢に立った。1935年6月12日に停戦が成立し、1938年7月にブエノスアイレスで結ばれた和平条約により、係争地域の大部分がパラグアイ領と認められた。20世紀の南米で最も多くの犠牲者を出した戦争とされ、戦病死を含む死者は両国で数万人規模と推計される(数値には諸説ある)。戦後、従軍世代の不満は両国の政治変動につながり、パラグアイでは1936年の二月革命ボリビアでは軍部と民族主義勢力の台頭を招いた。境界線の最終的な画定は2009年の両国の合意まで持ち越された。

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