中世1162年 〜 1227年
チンギス・カン
別名: チンギス・ハーン・ちんぎすかん・テムジン
モンゴル帝国の創設者。本名はテムジンで、モンゴル高原の一部族の首長の子として生まれたが、幼くして父を毒殺され、一族が離散する苦境から身を起こしたと伝えられる。ケレイトやナイマンなど高原の有力部族を相次いで従え、1206年のクリルタイ(部族長会議)でモンゴル高原の諸部族の統一を認められ、チンギス・カンの称号を得た。軍と社会を十進法で編成する千戸制を敷いて部族の枠を解体し、慣習法をまとめた「ヤサ」を定め、ウイグル文字を借りてモンゴル語を書き表す文字を導入するなど、統治の制度を整えた。対外的には1209年に西夏を服属させ、1211年から金への侵攻を開始して1215年に中都(現在の北京)を陥落させた。1219年には通商使節の殺害を口実に中央アジアのホラズム・シャー朝へ遠征し、サマルカンドやブハラなどの都市を征服した。征服の過程では抵抗した都市が徹底的に破壊されることもあり、各地に大きな被害をもたらした一方、駅伝制(ジャムチ)による交通網の整備や商人の保護は、ユーラシアの東西を結ぶ交易と情報の流通を活発にした。1227年、西夏への再遠征の途上で没した。死後、帝位は三男オゴデイが継ぎ、帝国は子孫たちの手でさらに拡大して、ユーラシア大陸の広大な地域を覆う史上最大級の陸上帝国となった。