中世
フランク王国のキリスト教受洗
🇫🇷フランス
フランク王クロヴィス1世(在位481〜511年)が、ランスの司教レミギウスからカトリック(ニカイア派)の洗礼を受けた出来事。クロヴィスはメロヴィング家の王として北ガリアを統一し、486年にはソワソンでローマ系の勢力を破って支配を広げていた。改宗の経緯については、6世紀のトゥールの司教グレゴリウスが『フランク史(歴史十巻)』に、アラマンニ族との苦戦のさなかに勝利を条件としてキリスト教の神に祈り、勝利ののちにカトリックの妻クロティルドの勧めで受洗したと伝えている。この戦いは後世トルビアック(現在のドイツ・ツュルピヒ)の戦いと結びつけて語られるようになったが、受洗の年についてはこの496年のほか498年や506年とする説もあり、確定していない。当時、西ゴート王国やブルグント王国などゲルマン系の諸王国の多くはアリウス派を奉じていたのに対し、クロヴィスがローマ教会と同じカトリックを選んだことは、ガリアの司教たちや在地のローマ系住民の支持を得るうえで決定的な意味を持った。この支持を背景にクロヴィスは507年のヴイエの戦いで西ゴート王国をガリア南西部から駆逐し、フランク王国の版図を大きく広げる。以後、フランク王権とローマ教会の結びつきは深まり、8世紀のカロリング朝とカール大帝の帝国、さらにランスを戴冠の地とするフランス王国の伝統へとつながっていった。