近現代

ロンドン海軍軍縮条約と統帥権干犯問題

🇯🇵日本

1930年4月、浜口雄幸内閣はロンドン海軍軍縮会議で米英と補助艦比率(対米約7割)を妥結した。しかし海軍軍令部が要求した対米7割を下回る重巡比率での受諾だったため、野党政友会と海軍軍令部が「兵力量の決定は天皇の統帥権に属し、内閣が軍令部の意見に反して軍縮条約を結んだのは統帥権干犯である」と激しく攻撃した。結果、浜口首相は同年11月に東京駅で右翼青年佐郷屋留雄に狙撃され、翌1931年に死去。統帥権干犯論は、以後軍部が内閣の国防政策に介入する論理的根拠となり、政党政治を機能不全に陥らせた。五・一五事件・二・二六事件へと連なる昭和期憲政危機の思想的起点として位置づけられる。

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