近世
四国艦隊下関砲撃事件(馬関戦争)
🇯🇵日本
1864年9月5〜8日(元治元年8月5〜8日)、英・仏・蘭・米の四カ国連合艦隊(軍艦17隻、兵約5,000)が長州藩の下関砲台を砲撃・占領した報復戦争。長州藩は1863年5月(孝明天皇の攘夷期日)に下関海峡を通過する米仏蘭の商船・軍艦を砲撃しており(下関事件)、これに対する報復だった。連合艦隊は前田・壇ノ浦の砲台を破壊し陸戦隊を上陸させ、長州藩は降伏。藩使者として高杉晋作・伊藤博文(のち通訳として)が交渉に当たり、賠償金300万ドル(後に幕府が肩代わり)と外国船自由通航を認めた。薩英戦争と同じく、攘夷の絶対的非現実性を長州藩に痛感させ、藩論を「破約攘夷」から「武備恭順」、さらに倒幕開国へと転換させる契機となった。長州・薩摩がともに対外戦争を経て倒幕近代化路線で一致したことが、薩長同盟成立の基盤となる。