近世
天狗党の乱 ― 水戸藩尊攘派の挙兵
🇯🇵日本
1864年5月、水戸藩の尊王攘夷急進派・藤田小四郎(藤田東湖の四男)らが筑波山で挙兵し、攘夷の即時実行を朝廷に直訴するため京都を目指した武装行動。水戸藩は徳川斉昭以来、尊攘思想の本拠地だったが、藩主慶篤と保守派(諸生党)との藩内抗争が激化。武田耕雲斎を総大将に約1,000人の天狗党は中山道を西進したが、各藩の追討を受け、那須・上野・信濃・越前と転戦の末、12月に越前敦賀で加賀藩に投降した。慶喜が朝廷を通じて派遣した加賀藩への投降だったが、幕府は容赦なく1865年2月までに武田耕雲斎・藤田小四郎ら352人を斬首・処刑。水戸藩は内部抗争で人材を消耗し尽くし、明治維新で雄藩から脱落する遠因となった。「水戸学」が倒幕思想に与えた巨大な影響と、水戸藩自身の衰退の対比は幕末史の悲劇的側面の一つ。