イベント 87件 / 場所 77件 / 人物 35名 / 用語 27件 を収録
戦国時代の七大勢力を統一した秦王・政は、始皇帝の称号を創設し中華統一を実現。李斯の法家思想に基づく中央集権的統治体制を確立し、兵馬俑の軍団で知られ、書籍焚書坑儒で思想統制を断行。永遠の生を求めて秦始皇…
秦の始皇帝による万里の長城の大規模築造と整備。北方の遊牧民族侵入を防ぎ、帝国の防衛線を確立。数百万人の労働力と膨大な資源を投じて建造されたこの巨大構築物は、中国の歴史において最も象徴的な防衛戦略の具現…
漢の武帝が張騫を西域に派遣し、中国と西域・中央アジア・中東を結ぶシルクロードが本格的に開拓された。絹・陶磁器などの物資交易と共に、宗教・思想・技術・文化の交流がもたらされた。東西文明交流の大動脈として…
インドで誕生しシルクロードを経て西域に広まっていた大乗仏教が、後漢の明帝の時代に中国へ公式に伝来したとされる。夢で金色の神人を見た明帝が西域へ使者を遣わし、迦葉摩騰(かしょうまとう)と竺法蘭(じくほう…
赤壁の戦い直後、孫権の大軍が合肥城を包囲攻撃した局地戦。曹操軍の張遼や蔣済らが見事な計略を駆使して防衛に成功。この勝利は赤壁敗北後の曹操陣営の士気を回復させ、呉の北方拡大戦略を挫折させた重要な防衛戦と…
巣湖・濡須口の水上要衝を巡って孫権と曹操による激戦。孫権軍の強固な防御線により、曹操は突破できず撤退。曹操は孙権の才能に感嘆し「子を生むなら孙仲謀(孙権)のような子が良い」と語ったとされ、孙権の軍事的…
合肥周辺の皖城を巡る戦いに続いて、孫権率いる呉軍が曹操陣営の濡須口周辺に対して一連の局地戦を展開した重要な戦役。孫権の南中国支配権強化と曹操軍の北方支配権の確立という三国鼎立への道を示す極めて重要な軍…
孫権が10万の大軍で無人の合肥城を包囲した大規模攻撃。わずかな兵力で守備する張遼・李典・楽進らが決死の突撃を敢行し、孙権軍を撃退。逍遥津での戦いとも呼ばれ、少数精鋭による防衛戦の歴史的名例となり、張遼…
曹操が大軍を率いて濡須口に再度侵攻した戦役。数ヶ月に及ぶ対陣状態が続いたが、曹操軍は呉軍の頑強な抵抗と防御に対処できず撤退を決定。その後、孙权は名目上の臣従という決定を下し、南北の勢力を事実上の独立状…
曹丕による呉への三方面進攻作戦のひとつ。曹仁が大軍で濡須口を攻撃した激戦。呉の名将・朱桓が巧妙な防御戦術と兵站戦を駆使して魏軍の攻撃を完全に撃退。この防衛戦の勝利は呉の防御力を世に示し、三国の力関係に…
孫権が率いる呉軍による合肥新城攻撃。魏の名将・満寵の洞察力に富んだ防衛策と夜間奇襲により、孫権軍は予想外の抵抗に遭遇して撃退される。この敗北は孫権の権力確立期における重要な挫折であり、呉の北伐戦略の限…
諸葛亮の第五次北伐に呼応して孙権が合肥新城を包囲した戦役。曹叡が親征軍を率いて激突する動きを察知した孙权は、戦わずして撤退を決定。この決定は孙权の戦略的判断の正確さを示し、呉の生存戦略における重要な決…
東興の戦いで大勝した諸葛恪が20万の大軍で合肥新城を包囲した大規模攻撃。数ヶ月に及ぶ頑強な籠城に加え、疫病が呉軍に蔓延したため、諸葛恪は撤退を余儀なくされた。この失敗は諸葛恪の軍事的判断の誤りを示し、…
晋の司馬炎(武帝)が複数路から大軍を派遣し、暴君・孫晧が支配していた呉に侵攻。建業が陥落して孫晧が降伏した。これにより呉は滅亡し、後漢末期の黄巾の乱から約百年続いた分裂時代が終わり、西晋が中国を再統一…
中国の伝説的な帝王・黄帝(こうてい)は中華民族の始祖とされる。蚩尤との戦い(涿鹿の戦い)に勝利し、文字・暦・医学・養蚕など多くの文化を創始したとされる。歴史的実在性は確認されていないが、中国人は「炎黄…
伝説的な聖王・禹(う)が大洪水を治め、その功績により舜帝から王位を譲られて夏王朝を建国したとされる。13年にわたる治水事業では自宅の前を3度通りながらも入らなかったという逸話が有名。夏王朝の実在性は二…
1206年、テムジンはモンゴルの諸部族を統一して「チンギス・ハン(偉大なる支配者)」の称号を受け、モンゴル帝国を建国した。チンギス・ハンは騎馬軍団の機動力・戦術的柔軟性・情報収集能力を活かして中央アジ…
フビライ・ハンが元朝を建立し中国全土を支配。運河の整備と紙幣制度で経済を統合。日本侵攻に失敗し、やがてペックス・モンゴリカの下で東西交易が活況。マルコ・ポーロは大都の繁栄に驚嘆し、モンゴルの寛容な統治…
明の永楽帝が命じた鄭和の大規模な南海遠航が始まり、数千人の乗員と艨艟とした船団がインド洋周辺の国々を訪問。中国の海洋進出と外交交易の象徴となったが、やがて鎖国政策により中止。世界海洋史における重要な時…
明の永楽帝が北京に紫禁城(故宮)の建設を開始。1420年に完成し、その後500年にわたり中国皇帝の宮殿として機能。採用された建築様式は東洋建築の最高峰とされ、中国文明の輝きを象徴する世界的に有名な建造…
洪秀全はキリスト教の影響を受けた独自の宗教「拝上帝会」を創設し、「天父(神)の子」として清朝打倒を掲げた。1851年に挙兵し、1853年には南京を「天京」と改名して首都とし、中国南部を広く支配した。「…
1898年6月11日、清の光緒帝が「明定国是」の詔を発布し、康有為・梁啓超らの献策による政治改革(戊戌の変法)が始まった。科挙の改革、京師大学堂(北京大学の前身)の設立、近代的な産業・軍制の整備などを…
「扶清滅洋(清を助け西洋を滅ぼせ)」を合言葉にした秘密結社「義和団」が1899年から山東・北京で外国人・キリスト教徒への攻撃を始めた。清朝の西太后がこれを支持して列強に宣戦布告したが、日本・ロシア・イ…
第一次世界大戦後のパリ講和会議で、中国がドイツから旧権益(山東省)を回収できず日本に継承が認められると、1919年5月4日に北京の学生が「外争国権・内除国賊(対外的に国権を争い、国内では売国奴を除け)…
五四運動の影響を受けた知識人たちは1921年7月、上海でコミンテルン(ソ連主導の国際共産主義組織)の支援のもと中国共産党(CCP)を結成した。創立メンバーの一人が後に最高指導者となる毛沢東である。一方…
蒋介石率いる国民党軍の「囲剿(包囲殲滅作戦)」に追い詰められた中国共産党の紅軍は、1934年10月に江西省を脱出し、約1万2000kmにわたる大撤退「長征」を開始した。険しい山岳地帯・草原・河川を越え…
日中戦争中の1937年12月13日、日本軍が国民政府首都・南京を占領し、その後約6週間にわたり大規模な殺害・略奪・強姦が展開された。期間・規模をめぐる数字は中国・日本双方で議論があり、中国政府および戦…
日中戦争終結後の1945年、国民党と共産党は一時的な停戦交渉(重慶交渉)を行ったが決裂し、全面内戦が再開した。当初は国民党が軍事・経済的優位にあったが、腐敗・インフレ・農民の支持を失ったことで戦況が逆…
毛沢東率いる中国共産党が国共内戦で国民党を台湾に追い出し、1949年10月1日に北京(旧称・北平)の天安門広場で「中華人民共和国」の成立を宣言した。ソ連型の社会主義体制を採用し、土地改革・産業国有化な…
大躍進政策(1958〜62年)の失敗で党内での影響力が低下した毛沢東は、1966年に「文化大革命」を発動した。「旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣(四旧)を打倒せよ」と叫ぶ青少年集団「紅衛兵」が学校・寺院…
2008年の第29回北京大会。中国大陸での初開催となり、経済大国として台頭する中国がその国力と威信を世界に誇示する象徴的な祭典となった。開会式の壮大なスぺクタクル演出は喝采を浴びたが、一方でチベット問…
中国・武漢で発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)がWHOによりパンデミック宣言。世界で6億人以上が感染、死者は700万人超に達した。各国でロックダウン・渡航制限が実施され、東京五輪は1…
2022年の第24回北京大会。2008年の夏季大会に続き、世界で初めて夏冬の両方の五輪を開催した都市となり習近平政権下で国力を見せつけた。しかし新疆ウイグル自治区などに対する激しい人権弾圧への懸念から…