近現代1802年 〜 1894年
コシュート・ラヨシュ
別名: ラヨシュ・コシュート・コシュート・Lajos Kossuth
1848〜49年のハンガリー革命と独立戦争を指導した政治家・弁護士・ジャーナリスト。1802年、ハンガリー北部モノク(現在のハンガリー領)の下級貴族の家に生まれた。1830年代には議会の討議内容を伝える手書きの報告を配布して自由主義的な改革論を広め、これを理由に投獄されたが、釈放後の1841年に新聞『ペシュティ・ヒルラップ』の編集者となり、農奴制の廃止や産業の育成、ハンガリーの自治拡大を訴えて世論に大きな影響を与えた。1848年3月の革命後に成立したバッチャーニ内閣で財務相を務め、ハプスブルク家との武力衝突が始まると国防委員会を率いて戦争を指導した。1849年4月14日、デブレツェンでハプスブルク家の廃位とハンガリーの独立を宣言し、執政(統治者大統領)に就任したが、ロシア軍の介入によって同年8月に独立戦争は敗北し、オスマン帝国領へ亡命した。その後はイギリスやアメリカ合衆国を訪れてハンガリーの大義を訴え、各地で歓迎を受けた。1867年のアウスグライヒ(オーストリアとの妥協)には最後まで反対し、帰国することなくイタリアのトリノで1894年に死去した。遺体はブダペストに運ばれ、国民的な葬儀が営まれた。