近世1549年 〜 1603年
アフマド・マンスール
別名: アフマド・アル=マンスール・アフマド1世・Ahmad al-Mansur
モロッコのサアド朝のスルタン(在位1578〜1603年)。1578年のアルカセル・キビールの戦い(三人の王の戦い)で兄のスルタン、アブドゥルマリクが陣中に没した直後、勝利した軍に推されて即位した。この戦いでポルトガル王セバスティアン1世を退けたことで威信を高め、地中海の覇権を争うオスマン帝国とスペインという二大勢力のあいだで自立した立場を保った。イングランドのエリザベス1世とは使節を交わし、スペインに対抗する共同行動を含む交渉を行っている。1591年にはジュダール・パシャを指揮官とし、マスケット銃と大砲を備えた遠征軍をサハラ砂漠越しにニジェール川流域へ派遣した。遠征軍はトンディビの戦いでソンガイ帝国を破り、ガオ、トンブクトゥ、ジェンネを制圧して、金と岩塩を結ぶサハラ縦断交易路の掌握をはかった。西アフリカからもたらされた富により「アッ=ザハビー(黄金の人)」と呼ばれ、マラケシュには壮麗なバディー宮殿が造営された。行政では税制や常備軍の整備を進めたが、1603年に疫病で没すると王子たちのあいだで後継争いが起こり、サアド朝は分裂へ向かった。