1834年 〜 1868年
近藤勇
別名: 宮川勝太・近藤昌宜・こんどう いさみ
新選組局長。武蔵国多摩郡上石原(現東京都調布市)の農民・宮川久次郎の三男に生まれ、天然理心流の剣道道場・試衛館を継承した。1863年、清河八郎の浪士組募集に応じて土方歳三・沖田総司・山南敬助・永倉新八・原田左之助・井上源三郎らと京都に上り、清河の倒幕策動に反発して京都残留、会津藩主・松平容保の京都守護職配下となり「壬生浪士組」を結成。同年8月の八月十八日の政変での働きで「新選組」の名を下賜され、翌1864年6月の池田屋事件で全国に名を轟かせた。禁門の変・第二次長州征討でも幕府方として活動、討幕派志士の取り締まり・暗殺を多数手がけた。鳥羽・伏見の戦いで敗北後、甲陽鎮撫隊として再起を図ったが下総流山で投降、新政府軍に板橋(現東京都板橋区)で斬首された(享年34)。