近世1521年 〜 1573年
武田信玄
別名: 信玄・たけだしんげん・武田晴信
甲斐国(現・山梨県)の戦国大名。父・武田信虎を追放して家督を継ぎ、「風林火山」の旗印のもと強力な騎馬軍団を率いて信濃・駿河へと勢力を広げた。宿敵・上杉謙信との五度にわたる川中島の戦いは戦国史屈指の名勝負として知られる。1572年には西上の途上、三方ヶ原の戦いで徳川家康・織田の連合軍を破ったが、翌1573年、上洛を目前にして病没した。分国法「甲州法度之次第」の制定や治水事業(信玄堤)など内政にも優れ、戦国最強と評される軍を育てた名将として後世まで高く評価されている。信玄の事績や軍法の多くは江戸時代初期に成立した軍学書『甲陽軍鑑』によって伝えられており、史料としての信頼性には議論がある。いわゆる「武田騎馬軍団」についても、馬に乗って戦ったのは一部の武士で、兵の大半は徒歩だったとする見方が近年は有力である。死後は子の勝頼が跡を継いだが、1582年に織田・徳川連合軍の侵攻を受けて武田氏は滅亡した。